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「ヒューマニティーを稼働ロジックにした新たなビジネス」として、高山さんは会社と離れたチャレンジをしている。その想い、社会や私たちへの愛にあふれたメッセージ。最終回

(1)「共感が自分を変え、やがて社会を変えていく」。エーザイ㈱ 知創部フェロー 高山 千弘さん

(2)「世の中を変える、ではなく自分を変える」。エーザイ㈱ 知創部フェロー 高山 千弘さん



PROFILE
高山 千弘さん エーザイ株式会社 執行役員 知創部 部長、現ナレッジクリエーション・フェロー。医学博士 経営学修士。1982年東京大学薬学部卒業後、エーザイに入社。1992年海外へ留学、英国にてマンチェスター大学MBA(経営学修士)を取得。1994年米国勤務にて治療スタンダードとして世界初のアルツハイマー病治療剤の臨床試験、FDA申請、承認を担当。1998年日本に帰国後、同治療剤の厚生労働省への申請、承認を統括する。責任者として、普及にとどまらず、アルツハイマー病などの認知症の社会的な疾患啓発活動と、受診・診断・治療・介護において認知症の人とご家族の支援を目的とするソーシャル・マーケティング活動を統括する。


知創部での知見を活かし、ベンチャーでの新たな構想

 高山 千弘さんは現在、エーザイの仕事とは別に、対象を難病の方々に向けた新たなベンチャー企業を興して活動をしている。「難病の方々に対してどういう方法が良いのか?と考えたとき、方法論がベンチャーでないと成しえないものだった」と言う。事業内容は、アプリを開発し、新しい診療体系としての受診スキームを構築するものだ。アプリを用いて、患者は自ら日々の詳細なデータを記録していき、医者とシェアすることができる。医者は共有されたデータを統計的なものとして利用できるため、患者の状況を即時に把握することが可能だ。「そうすれば、治療方針もすぐに判明するし、きめ細かい遠隔診療をも実現できる」とし、従来の遠隔診療と違い、既に蓄積された豊富なデータをもって診療をするため、患者ごとに適切な治療方針が立てられるというわけだ。

 ここでも高山さんがエーザイの知創部で培ってきた知見が生きてくる。「診療だけに限らず、生活まわりなどクウォリティ・オブ・ライフを向上させるソリューションも見いだせる。もっと豊かにしよう、という発想が生まれてくるからだ。患者様同士、患者様のお母さん同士というコミュニティも存在するはずなので、その連携がうまくできるようにしていくつもりだ」。これは医療サイドでも同様で、コンソーシアムをつくれば医者同士でのデータのやり取りが可能となり、新たな治療法や解決策の発見にも期待ができる。将来的には賛同する企業から資金を集めることも視野に、「これを、最終的には全体をひとつの経済圏としていく構想で動き始めている」。

 経済圏というのはお金の面というよりは、「“感謝の経済圏”だ」。患者から医者へ、患者の親同士、医者と医者の間で、感謝の気持ちを表す方法論をこのスキームに組み込こむことで高山さんは、難病患者、家族への活動をさらに次世代型へ昇華しようとしている。「ヒューマニティーを稼働ロジックとして、資本主義や市場原理にビルトインしていくという、まさにそのことを今、ベンチャーを通してやっていることだ」。

「エラン・ヴィタール(愛)」を原動力に、開いた社会とは

 “個” が閉じた社会では、支配や防御で互いに拮抗している。その状態を続ける限り、貧困や格差は生まれ続ける。これを解決していく最初の一歩が、開いた社会にしていくことだと高山さんは考えている。手がけているベンチャーでの活動は、そのひとつの解決策の提示と言えるのではないか。では、社会を開いていくとは、どうしたらよいのだろう。

「エラン・ヴィタール、愛を原動力として我々人類は変わっていかなくてはならない。そう、知性を超え、直観に向かって」。人に対して愛情と思いやりを人間性原理のヒューマニティーとして共感したとき、「我々は同じ地球のなかで、地球のシステムの一部として自分たちがいるのだと考えられるはずだ。そうしたとき、人類75億人はみんな地球の同じ仲間であり、共に地球を支えていこうという意識になっていく。そこには、誰が勝ったとか負けたなどはなく、貧困や格差で苦しむ人たちに手をさしのべることはごく自然の営みとなるだろう」。

 格差に対してベーシック・インカムを与えればいい、という声があるが、「本質的には愛だ。愛をベーシックにしなければ解決などしない」と語る熱意が伝わってくる。さらに、「人というのは、内在的自己と外在的自己とがある。どうしても、資本主義の経済合理性を追求するために、僕らは外在的自己になりきってしまって、自分の評価を高めたり、エゴを発揮したりしてきた。孟母三遷の教えのように、愛情を子に与えるのではなく、子どもが持つ素晴らしい内在的自己に気づかせることこそが慈愛なのだと思う」と続けた。


 では人類が今後、内在的自己を開花させる方向に向かうことで開かれた社会が実現するとしたら、企業の在り方も問われるべきだ。しかし、「企業のCEOたちが変わらないので、悩み葛藤する若者を僕らは応援しなくてはいけない。それが『WaLaの哲学』ということ」。こうした社会の到来は、高山さんの夢なのだ。


まず自分が動くこと。 “知識創造理論”を手掛かりに

 最後に、企業の枠を超えたたくさんの後輩たちへメッセ―ジをいただいた。

「今、自分が “個” を開く、というところから実践してほしい。そのときにポイントとなるのは、人と人との関係性が自分を変えていくということ。僕が望むのは、“今、助けを求めている人” と出会うこと(共同化)で共感から気づきをもらってほしい。もし、自分が社会を変える原動力となりたいのなら、いろんな気づきをもらって、その方のために努力していくことで “個” は開いていく。

 僕はビジネスを否定しない。たまたま会った人を助けるだけならボランティアだし、きりがない。そこからビジネスに巻き込んで、もっと多くの同じ環境や境遇にある方に対してどうすればいいか?を考えれば、ヒューマニティーを稼働ロジックにした新たなビジネスが誕生するはずだ。もし今の勤務先に失望していたとしても、文句を言っても仕方がない。まず、自分が動くことだ。その道案内に “知識創造理論” を学んでほしいと思う。自分一人の力では限界がある。当然人を巻き込むのだけど、全員が共同化していることが大原則だ。僕は、14年経験したなかで同じ想いの組織や人が集い、ソリューションを見出そうという連結化にひとつも失敗がなかった」。


 昨今、“共感”という言葉をよく耳にする。しかし、高山さんの語るそれが内に秘める、パワーと情熱や愛を感じるとき、一身を投じ、追求してきた人が発するからこそ言葉に魂が宿るのだと再認識した。


高山さんの語る言葉のすべてに、「新しい社会の実現」を信じて行動し続ける人の真実がありました。我々後輩たちは、そこから何を学び、そして自分を変化させていけるでしょうか。

お話に出てきた野中 郁次郎氏による「知識創造理論」や、エーザイの事例も紹介されている書籍「ワイズカンパニー」も参考図書としてお薦めいただきました。

(1)「共感が自分を変え、やがて社会を変えていく」。エーザイ㈱ 知創部フェロー 高山 千弘さん

(2)「世の中を変える、ではなく自分を変える」。エーザイ㈱ 知創部フェロー 高山 千弘さん

社員全員で“知識創造理論”に取り組み、これを率いるエーザイ㈱の高山 千弘さんが、屬 健太郎氏主宰の『WaLaの哲学』のどこに共鳴するのかを聞いた。第2回

(1)「共感が自分を変え、やがて社会を変えていく」。エーザイ㈱ 知創部フェロー 高山 千弘さん


患者と過ごすことでトランジションが起きる

 「利益を追求しないということは、言い換えて “エゴをはずす” ということだろう」。高山 千弘さんが勤務するエーザイは、製薬企業でありながら「薬はOne of themに過ぎない」と断言する。その潔さにはもちろん、企業理念の “ヒューマン・ヘルスケア” に基づいた考え方があり、共同化において病気の方とふれあうことで患者の想いを暗黙知として受け取ると、「この方の憂慮はなにか、本当に望んでいることはなんなのか?」という思いが自然とわいてくるはずだ、と言う。「そのとき薬はひとつのツールでしかなくなり、患者様本人ですら気づいていないことを我々がソリューションとして提示していくことができるはずだ」。

 こうした考えを実際に企業のビジネスとして行ってきた多数の実績が、高山さんの確固たる言葉の強さにつながっている。例として、アルツハイマー型認知症薬を米国で臨床試験、FDA申請から承認まで担当したのは高山さんだった。

 「僕は当初、認知症の方は何もわからないだろうな、感情もないのだろうな、と思っていた」。しかしその予想は実際に患者と過ごしてみると見事に裏切られた。感情豊かで人間らしい姿に触れ、「まさにトランジションが起きた」と語る。患者との出逢いがそれまでの自分から180度の変化を起こす。「自分がもし変わるとしたら、患者様との出逢いが変えるのだと知った」。エーザイでは、全世界にhhc(ヒューマン・ヘルスケア)マネージャーが存在し、ネットワークを講じて同じ考えのもと「患者様のために」日々の業務をつくっていくシステムが機能している。


閉じた“個”を開放することで企業を内から変えていく

 「僕が健太郎さんの『WaLaの哲学』にバックアップで参加しているのは、こういった考えの企業をもっと増やしていきたいからだ」とし、多くの企業が経済合理性を追求することで疲弊してしまう “働く人” たちへ向ける、高山さんのまなざしは優しい。「人類にプラスの貢献を果たしていくような企業をぜひとも増やしたい。そう考えるとき、企業の中の人材から育成していく必要がある」。これこそが、高山さんが東奔西走しながらもこのアカデミアに時間を割く理由なのである。「自分が制度のなかで言われたことだけやればいい、とい考えてしまうのは “個” が閉じた状態。そうではなく、もっと開放してあげること、十分に共感の場を与えてあげること、“個” が開くにはそれが必要だろう」。では具体的にはどうすればよいのだろうか。


次へ向かうプロセスの場をシェアする場

 「人と人との出会いに尽きると思う。そのときに、“誰が今、一番助けを求めているか?” というところから考えてみるといい」。高山さんが知創部で体現してきた “知識創造理論” と、『WaLaの哲学』による個へ迫るアプローチには共鳴するものがある。特に高山さんが同調するのは、「どういう態度で、どうすれば“個”が開く状態へ進むか、『WaLaの哲学』の内容は具体的にその部分へ切り込んでいる」点にあるとし、講義が進むほどに深く参加者の心のなかの状態にまで落とし込んでいき、参加者と分かち合い、「どういうふうに未来をもっていったらよいのか?」という命題に取り組む。「これはもう、次へ向かうプロセスをあの場でシェアしているということに他ならない」。


 高山さんが期待するのは、ヒューマニティーを稼働ロジックとして搭載した新たな企業の登場だ。資本主義のなかで鎖に縛られた企業ではなく、「こうした新たな企業が続々と生まれていくことで社会が変わると信じている」。野中郁次郎氏のもと、エーザイが長年さまざまな企業に “知識創造理論” を伝え、アドバイスをしてきたことを『WaLaの哲学』ならば組織的な実践が可能であるとする。しかし本当に高山さんが「将来の希望」と言う、新たな企業が登場し社会が変わることは夢物語ではないのだろうか。そもそも、エーザイだけが特別優れて先見性を持ち、実践できる企業だった稀有な例と言えなくはないのか。


「世の中変わります。あなたは変われますか?」

 エーザイの現社長である内藤氏が社長になった際、社員に対してこう投げかけた。「世の中変わります。あなたは変われますか?」と。おそらくその時点では戸惑った社員が多かったはずだ。そこで内藤社長が採った行動こそが、患者とふれあうことだった。

 少しずつ認知症の人のなかに入っていき、お世話をする、啓発セミナーを行う、これらを徹底して進めていった。「世の中を変えますと言う人はいるが、そもそも自分というのは、その“変えるべき”と思う世の中のシステムの一部だ。ということは、自分も変わらないと世の中は変わらない」。ところが多くの場合、“自分を変える” とは言わずに “世の中を変えます” と言いがちであることが、問題の解決にならない理由だと続けた。

 通常、製薬会社では処方箋を切る医者を最優先とするものだが、このとき内藤社長はそれを患者と定めた。「患者様のために自分が存在していて、その方々のために自分が努力していく」。これがエーザイの活動であり、高山さんが「新たな企業の登場」を夢ではないと考えるに足る、十分すぎる理由なのだった。

第3回へつづく

PROFILE
高山 千弘さん エーザイ株式会社 執行役員 知創部 部長、現ナレッジクリエーション・フェロー。医学博士 経営学修士。1982年東京大学薬学部卒業後、エーザイに入社。1992年海外へ留学、英国にてマンチェスター大学MBA(経営学修士)を取得。1994年米国勤務にて治療スタンダードとして世界初のアルツハイマー病治療剤の臨床試験、FDA申請、承認を担当。1998年日本に帰国後、同治療剤の厚生労働省への申請、承認を統括する。責任者として、普及にとどまらず、アルツハイマー病などの認知症の社会的な疾患啓発活動と、受診・診断・治療・介護において認知症の人とご家族の支援を目的とするソーシャル・マーケティング活動を統括する。

(1)「共感が自分を変え、やがて社会を変えていく」。エーザイ㈱ 知創部フェロー 高山 千弘さん


企業の最前線をひた走る各界のビジネスリーダーたちが通う「WaLaの哲学」の世話人、エーザイ㈱の高山 千弘氏。超多忙な日々にあって後進を支援する思いを聞いた。全3回

PROFILE
高山 千弘さん エーザイ株式会社 執行役員 知創部 部長、現在ナレッジクリエーション・フェロー。医学博士 経営学修士。1982年東京大学薬学部卒業後、エーザイに入社。1992年海外へ留学、英国にてマンチェスター大学MBA(経営学修士)を取得。1994年米国勤務にて治療スタンダードとなる世界初のアルツハイマー病治療剤の臨床試験、FDA申請、承認を担当。1998年日本に帰国後、同治療薬の厚生労働省への申請、承認を統括する。責任者として、普及にとどまらず、アルツハイマー病などの認知症の社会的な疾患啓発活動と、受診・診断・治療・介護において認知症の人とご家族の支援を目的とするソーシャル・マーケティング活動を統括する。


悩みながら真摯に歩む後輩たちを支援する

 冬の日暮れは早い。18時半をまわればすっかり夜のとばりは下りていて、時間の経過と共に外気はいよいよ寒さを増していく。5期を迎えた社会人のためのアカデミア『WaLaの哲学』は、ちょうどその頃開校する。いつも誰よりも早く会場に到着し、朗らかな笑顔には疲労などみじんも感じさせずに現れるのが、エーザイ株式会社 知創部でナレッジクリエーション フェローを務めている高山 千弘さんである。

 知創部とは「社長直轄組織で、知識創造理論を社員全員で日常業務のなかで行いながらイノベーションを興していく部署」であり、エーザイは一企業として “知識創造理論” を徹底してやり抜き、企業活動の範囲も深さも拡大するに至った。“知識創造理論” とは、端的に言えば経営学者の野中郁次郎氏が提唱した組織的に知識を創り出す方法論のことであり、エーザイは“知識創造理論 ”を世界で導入した最初の企業なのだ。

 高山さんが多忙な身でありながら『WaLaの哲学』をサポートするのには、どうやらこの辺りにヒントがあると言えそうだ。


エーザイの “知識創造理論” と“ヒューマン・ヘルスケア”

 「今の資本主義というのが、いわゆる経済合理性だけを追求してきた結果として、人のことはどうでもいい、自分たちの企業が儲かればいい、というような流れに来てしまっていることをとても残念に思う」と、高山さんは警鐘を鳴らす。

 エーザイでは就業時間の1%を患者と過ごすことが従業員に「仕事」として課されていることを知っているだろうか。しかも、「ただ会って、“感銘を受けたな”、“かわいそうだな” などと言っているようではいけない。なぜなら、これはビジネスだから」。要するにビジネスであるからには、「患者様とのふれあいから受けた気づきや想いを現場の知として、患者様の希望が叶うためにどうしたらよいか?を日常業務に落とし込んでいく。それをまた、患者様へフィードバックしていく。ビジネスだからこそ、必死になってやる」。この基本的な考え方は、先に挙げた “知識創造理論” に基づいており、さらにエーザイの企業理念である “ヒューマン・ヘルスケア(hhc” に支えられている。


 東証一部上場の押しも押されもせぬ大手製薬企業であるエーザイであるが、社名に “製薬” とついてないことを、示されるまで気づかなかった。これは、「ヘルスケアビジネスをやっているから。患者様とご家族の喜怒哀楽に共感し、それを理解してベネフィット向上のためにビジネスを遂行する、これがヒューマン・ヘルスケアだ」とし、加えて定款には「利益を追求しない」とも明記されているのだという。「我々が追求する唯一のものは患者様満足、社会貢献であり、結果としての利益に過ぎない」。にわかには信じられない話が続き、面食らってしまうのだが、であればこそ先の、「経済合理性を追求する企業がほとんど」という発言にもうなずける。なぜなら、高山さんこそがこの一見しただけではおよそ信じがたい活動を、患者を起点に据えたソーシャル・イノベーションを、けん引してきたその人だからである。


現代資本主義の犠牲者たちへの “共感”

 「結局、資本主義のなかでそれを徹底するために制度やルールで縛り上げて、目的が利益を稼ぐことになると働く人たちは、 “個”が閉じるという状態に陥ってしまう。そこに合わせなくてはいけないから、会社に来るときも “資本主義に合う人間” になって来る。もちろん、パーソナリティーもそれに合わせたパーソナリティーをまとって来るわけだけど、こんな状態では格差に苦しむ人たちに共感することなどできるはずがない」と、ひと息に語る高山さんの眼光は否が応でも鋭くなる。なぜならこの “共感” が、自分を変え、ひいては社会を変える原動力になると考えているからだ。

(第2回へつづく)

外に承認を得る生き方を止め、自分自身の地図を手に「生きやすさ」を見出してきた齋藤 有希子さん。彼女が考える働く意味、リーダーシップについて聞く。最終回

(1)「人生のなかで、大企業で働くってなんだろう?」大手システムインテグレーター勤務・齋藤 有希子さん

(2)「染まるのをやめて、変えることを選んだ」。大手システムインテグレーター勤務・齋藤 有希子さん

PROFILE
大学卒業後、国内最大のシステムインテグレーターに入社。HR業界のシステム開発に従事し2009年から2年間、中米ベリーズで海外協力隊に参加した。PCインストラクターとして現地の子どもたちと関わるなかで人生観を揺るがす衝撃を受けて帰国。帰国後はプロジェクトマネージャーとしての仕事と、社内人材を対象とするコミュニティマネジメントなどに携わっている。


やりたい仕事は自分でつくれるようになった

 2020年は世界規模で大きく揺らいだ時代の始まりとも言える。コロナ禍によって「仕事はフルリモートになって、仕事もプライベートもコントロールできるようになった。 “自由” って、“自主自立” 、“自分に理由がある” ってことだと実感している」。この、“自由” を選択できる幅が広がったことに今、心から満足を覚えていると言う。「仕事にしても、自分でつくりにいきたい。やりたいと言い続けているとダメと言われることがない今だから、やりたいことの時間配分を自分でつくっていける」。


 きらきらした瞳に情熱を宿して語る齋藤 有希子さんだが、「もちろんまだ追求していきたいことはある。大きなテーマで言うと “いのちを輝かせて生きる” ということ」。このテーマは、前回で触れた社会人のためのアカデミア『WaLaの哲学』の講義のなかで自ら見出したものだ。彼女が得た発見として「生まれてきて命を表現する手段が、“働く” ということなのではないか、と思うようになってきた」。言葉の成り立ちを見つめ、「働く(はたらく)」を分解すると “傍(はた)を楽(らく)にする”、“にんべん(人)が動くこと” すなわち “行動する” と解くならば、「この世界に生きるうえで、広く社会でも顧客でも、同僚でも家族でも、自分の周囲をどう楽にできるか?エンパワーメントできるか?が自分のなかで働くということかな」と言うと少しだけ真剣な面持ちに変わった。


「自分一人」では成立しない、幸せへの思い

 有希子さんの “働くことで、幸せになる” という思いに、周囲の仲間の存在は欠かせない。満足を得るにも自分だけの “楽” では成立しないのだ。

 「関わるみんなを幸せにしたい。その価値観しか知らないので」と、さも当然のように言い切る姿に旧世界のリーダーシップと確実に異なる在り方を感じた。けれど本人としては、「これもひとつの考え方に過ぎなく、従来型の引っ張っていくリーダーシップというのも組織では求められるものだ。反対に自分は、その点で弱さを感じることが多いので、掲げるリーダーシップにおいて目に見える成果が持てていないことが悩みでもある」とあくまでも謙虚だ。

 「もともと自分と違う価値観の人の話を聞くことが楽しくて。だから、“そう来たか!” みたいにワクワクしてしまうところがある」と語り、短期的な成果よりも長期的に見たとき、価値観が違った人たちが「ありがたいことにみんなが助けてくれる。“ 自分の苦手なこと困っていることを相談すると、周りの人達が助けてくれる。本当に周囲に支えられている」と言いながら、「でも、リーダーにズバッと決めてほしい人もいるので、これがただ一つの正解とはまったく思わない」と続けた。あくまで他者の在り方を尊重するのが有希子さんらしい。


働く、暮らすはつながっている

 もう少し有希子さんの求める “働くことで、幸せになる” 道すじについて聞いてみる。

 組織にいると役割やそれに伴う責任がある。「やりたくなくても稼がなくてはいけない。でもそればかりだとサステナブルではないので、今までは、仕事とはそういうものだとそればかりに集中してきたせいで、どんどん疲れて燃焼してしまった」。働くことは生活の糧を得る手段(ジョブ)と、成長や地位や責任のため仕事(キャリア)、社会的な使命感(コーリング)の3つの要素があるのだとすると、「今後コーリングの部分を少しでも増やしていけると満足度が上がると思っている」。


 そのためには自分のなかで [ジョブ・キャリア・コーリング] に紐づく作業の割合や調和を図っていくことが大切で、そうした観点からもコントロールが働くようになった現在は、目標とする道の上にいると言えよう。「正直言うと興味がなくやりたくない業務もあるが、期間や稼働の割合を調整できるようになった。コーリングとやりがい、使命感を感じさせる働く姿に魅力を感じるので、今私はその割合を少しずつ増やしていことを意識している」。

「働くと暮らすは地続きでつながっている」とし、今夢中になっているのは自分の内に向かうこと。好奇心旺盛で行動的な有希子さんなので、一見荒行にも思えるさまざまなワークにも楽しみながら挑戦しているそうだ。「頭ってうそをつくものだから。心と体に聞く時間というか、内面に入っていくことを大切にしている」。自分に向き合うなかで、自然、身体、精神への興味が深まり、「人間が生態系の一部ってことを想定すると、その中にいる人間として、どうあるか?ということに興味がある」と言って、これから挑戦してみたいさまざまなことを、さも楽しくてたまらない!というように語る姿がとてもまぶしく映った。


その時そのとき、ひたすら真摯に向き合い自分の答えを出しながら生きてきた有希子さんが紡ぐ言葉は、しなやかな強さがあります。「関わる人の幸せあってこそ」とする働き方が組織をどう変えていくのか、興味は尽きません。

(1)「人生のなかで、大企業で働くってなんだろう?」大手システムインテグレーター勤務・齋藤 有希子さん

(2)「染まるのをやめて、変えることを選んだ」。大手システムインテグレーター勤務・齋藤 有希子さん


働いて幸せになるなんて無理なのかーー。悩んでも絶対にあきらめない齋藤 有希子さんのチャレンジは、会社内で自分発の試みを立ち上げることから始まった。ひたむきな模索がいつかひとつの答えとなっていく。第2回

第1回はこちら


PROFILE
大学卒業後、国内最大のシステムインテグレーターに入社。HR業界のシステム開発に従事し2009年から2年間、中米ベリーズで海外協力隊に参加した。PCインストラクターとして現地の子どもたちと関わるなかで人生観を揺るがす衝撃を受けて帰国。帰国後はプロジェクトマネージャーとしての仕事と、社内人材を対象とするコミュニティマネジメントなどに携わっている。


「何をしたいの?」は大きすぎる問い。最初の一歩はもっと手前にある

 自分の通ってきた悩み、答えを求めて体験してきたこと。同じ環境で長い時を共に過ごす仲間であればこそ、自分の経験が役立てるのではないかと考えた齋藤 有希子さん。社内で一人ひとりに声をかけ、コミュニティをつくりはじめた。「自己理解を深めよう、自分の価値観てなんだろう、仕事において何を大事にするか結構いろんなアセスメントがあるが、自分の経験からよかったことをやってみることにした」。周りの人と話すことや(ツールの一種として)モチベーショングラフをやってみるなど、そうしたことによって得る気づき、人との違いを知ること、自分の傾向を理解することが最初の一歩と考えている。

 「私もすごく悩んで、何のために働いているのかがわからなくなって言葉にできなかった。同じように悩んでる子は結構いると思った。じゃあ何をしたいの?って言われてもわからない人、そういう人たちに経験からサポートしたい」。有希子さんが悩みと向き合い行動してきたことのすべてが、他の人の身の内で息吹き、役立っていく循環が起きている。「ほんの一つでも気づきがあるとうれしいものだ。体験した子が、自分はやってみたらこうだった、など感想を言ってもらえるときがすごくうれしい」。今の有希子さんの楽しみは、そういう瞬間に立ち会うこと。この活動で、時にハッと人が輝く瞬間を見られることがこのうえない喜びであり、一人でも二人でも、そういう流れを生み出せるコミュニティに育てていくことを夢見てやりがいを感じている。

組織を活かして変化を生み出すムーブメントへ

 『River』で取材してきた人たちには会社を辞めずに企業のなかにいながら、外の世界を知ることで問題意識を得て会社に戻り、そこから改めて “大企業人生” 第二期を始める人が多い。有希子さんとしての特性は、一緒に働く仲間に目を向け、メンターのように導き手となっていることだろう。会社のなかで自分にしかできないことを立ち上げ、苦しみも喜びも関わる仲間の成長に還元していることが、いかにも有希子さんだけの “大企業人生” と言えなくもない。なぜ、会社にこだわるのだろうか?

 「学生時代からずっと、他者からの評価をベースに “染まる” ことを選んできた。結局それは続けられなかったのだけど。その状態に違和感を感じたら、ああ、もうこれは “変える” しかないんだなって」。勤務する会社の成り立ちが公社から端を発したこともあり、社員数も非常に多いうえ、ある意味で日本的企業の象徴とも言えよう。「だったらここが変わったら、日本全体へのインパクトがありそう」と考えた。さらに、長く勤めてきた今であれば、話を通しやすい関係値が築かれているし、上司から応援してもらうにはどう動けばいいか?という知恵もついてきた。これは大きな資産だ。過去、悩みながらも前進することを止めなかった有希子さんだからこそ、得られた境地であろう。


「OSのアップデート」みたいなバージョンアップを遂げる

 「他人の承認を期待するのをやめて、自分で自分を評価できるようになった」有希子さんであるが、そのきっかけのひとつが『WaLaの哲学』との出逢いだった。まず講義のガイダンスに参加してみると「おおおっ!!ってなった(笑)」。自分の見ている世界との違いを感じ、言うなればOSのアップデートのようなものか。彼女の言葉で言えば、「自分が成長するときって、横軸の成長ではなく縦軸の成長をするときに、きっとこういう『WaLaの哲学』みたいな学びが自分にとって必要な時期だった」と思えた。


「最初の3日間とか、インプットが膨大すぎてうなされましたけど(笑)」。


 振り返るとあの膨大なインプットがあったおかげで、「多分、いろんな人の意見にもその背景にあるであろう意図を汲めるようになってきたり、本やインタビューを読んでも、そういう思想があるからこういうことを言っているんだな、と薄く広く、つながった感触が持てた」。断片がつながり形を成したことで、「自分のなかにひとつの地図が持てた気がした」と表現する有希子さん。結果として、その地図は何かを思考するとき判断の軸となり、それまで他者評価を選んで生きてきた有希子さんを「自分らしく」導く拠り所となったのだった。

第3回につづく

(1)「人生のなかで、大企業で働くってなんだろう?」大手システムインテグレーター勤務・齋藤 有希子さん

“社会的偏差値” の高い企業に入社すれば、絶対幸せになれるはず。若い期待は仕事に明け暮れる日々のなかで裏切られていく。転機となった海外協力隊で目撃した「幸せ」な人たちの生活から、行動を起こす。全3回

PROFILE
大学卒業後、国内最大のシステムインテグレーターに入社。HR業界のシステム開発に従事し2009年から2年間、中米ベリーズで海外協力隊に参加した。PCインストラクターとして現地の子どもたちと関わるなかで人生観を揺るがす衝撃を受けて帰国。帰国後はプロジェクトマネージャーとしての仕事と、社内人材を対象とするコミュニティマネジメントなどに携わっている。


順風満帆なキャリア形成と「自分を満たす」仕事の両立

 はじけるような笑顔で「元気いっぱい!」という印象と同時に、いるだけで周囲をふんわりと包むような雰囲気を併せ持つ不思議な存在感が、齋藤 有希子さんの魅力だろう。けれど一つひとつの言葉の選び方、質問に答えるときに「これがもっとも適切だろうか」と瞬時に吟味されたうえで発せられる言葉に、有希子さんの生きてきた軌跡が想像された。

 彼女が勤務するのは日本最大のシステムインテグレーター。入社以降はシステムを設計、開発、保守運用を、という一連の流れで行う仕事に従事してきた。長くHR領域事業者のWebシステム開発における開発担当からリーダーを務め、現在はプロジェクトマネージャー(PM)を担う。

 「最近はPMの仕事よりも組織と人に向けた仕事にとても興味がある」。自己理解を深める活動、従業員・ワークエンゲージメントを高めるための活動などの社内でのコミュニティ運営を、自身で立ち上げて行っているのだ。そのきっかけとなったのは、約2年に渡る中米はベリーズという国での生活で、会社を辞めることなく海外協力隊に参加できる制度を利用した。2009年、有希子さんは旅立つのであるが、その前日譚を少し紹介しておく必要がある。


劣悪とも呼べる環境下で「最高に幸せ」と言う人たちの存在

 新卒から勤務する現在の会社を選んだのは「今後に役に立ちそう」という理由から、ITや金融にフォーカスした就活の結果であった。「やりたいことではなく、境遇やお給料とか…なんていうか、いわゆる社会的偏差値が高いところというのか。あと、研修がしっかりしてることも重視して選んだ」。

 当時はそうした環境が整ってさえいれば「幸せになれる」と思っていたが、へとへとになって働く日々のなかで一向にその願いが満たされることはなかった。入社5、6年ほどが経った頃のこと。大きなプロジェクトで稼働が立て込み、休日出勤や深夜タクシーでの帰宅が相次いで、心も体も摩耗されていくようだった。そんなある日、社内ポータルで出てきた海外協力隊の募集を目にする。

 募集内容を眺めるうち、もともと持っていた海外への憧れがあざやかによみがえってきた。その前年、バングラデシュで友人がNPOを立ち上げており、ストリートチルドレンへ向けた青空教室から始めて、彼らが生活できていけるような仕組みづくりをしていた。「そこに遊びに行ったら、彼の活動が及ぼす子どもたちの人生に対する影響力をまざまざと感じた。使命感ややりがい、情熱をもって毎日を過ごしている友人の姿をみて、自分が今やっている仕事とのギャップをすごく感じてしまった」という。心の声に従って渡航するわけだが、親の心配もわかるだけに実際半年ほどは逡巡したが、最終的には「えい、行っちゃえ!って(笑)」。

 「社会性のある、やりがいをもってやれる活動をしたくて」協力隊に参加した彼女に、最初の驚きは現地の人たちのこんな声だ。「おれたちは世界で一番幸せだ。人生は最高!」と何人もが口にするではないか。はじめは、「世界を知らなくて情報がないからかな」と思っていたが、見渡すとテレビはアメリカのケーブルも入っているし、海外を自由に行き来する人もいるわけで、外を知ったうえで今の自分たちを「幸せ」と言える人たちは衝撃でしかなかった。いわゆるGDPも低く、これといった娯楽もなく衛生面だってよくない。水道や電気も頻繁に止まる暮らしを、「幸せ」と言えるのはなんでなんだろう?


自分も周りもご機嫌になれる働き方を探して

 2年ほどの生活を終え、帰国して同じ仕事に戻ったとき、あんなふうに瞳を輝かせて「おれたち幸せだ」と言っている人はまわりに見当たらず、「カラフルだった世界から急に白黒の世界に帰ってきたような気持ちがした」。そこから「幸せってなんだろう?」、「人生のなかで、働くってなんだろう?」といった問いが、有希子さんの頭を占めるようになる。テレビの向こうからアンパンマンすら語り掛けてくる。

「何のために生まれて 何のために生きるのか こたえられないなんて そんなのは嫌だ!」。

有希子さんが行動を開始する。いろいろなセミナーに参加し本を読み、心が欲するままに勉強をし始めた。そうした日々にふと、「働くうえで幸せになる」とか「自分も周りもご機嫌になれる働き方があるんじゃないか?」などと思い至り、まずは趣味の延長のような気軽さで、社内で個別に興味のありそうな人に声かけ始めたのだった。

(第2回につづく)

本能がキャッチした『WaLaの哲学』への参加によって、自分は仕事は、どう変化を遂げたのか?25歳というフレッシュな感性だからこそ、熱き理想に燃える日々。全2回

第1回はこちら

PROFILE
1995年生まれ、25歳。大手総合人材サービス企業に新卒で入社し、フリーランス人材と企業をマッチングする部署でコンサルタントとして従事する。現在までに12社の企業と契約、月30~40社へアタックし需要を堀リ起こす。20代のうちに独立する目標を掲げ、仕事と勉強に明け暮れる毎日を過ごしている。


習慣が変われば、環境も変わることを体験から知る

 実際、『WaLaの哲学』受講者のなかでも、相澤 大さんは若いメンバーだと言える。多くのビジネスパーソンが、会社員人生のどこかで組織と自分の在り方について思い悩む経験があるであろうが、相澤さんの場合は組織と自分の関係性ではなく、「社会で通用する人材としての自己」へ思いを馳せた。そのタイミングで『WaLaの哲学』を受講したことで、もっとも大きく変化したことはなんだったのだろうか?

 「習慣が変わったこと。これがもっともダイナミックな変化」と語る。

 たとえば、自己内省のフレームワークとして瞑想を生活に取り入れてみた。「やったところで意味なんかないだろう」と思っていても、まず取り入れてみる。取り入れるようになると、日常で見過ごしていた部分に目がいくようになり、するとそこに興味を持つようになる。さらに行動に移すようになる。そうなると、必然的に環境が変わってくる。「こうしたことがだいぶ繰り返されてきていて、行動様式が変化したことがわかる」。これらの変容は、実は仕事にも影響を及ぼし始めており、日々のお客様の情報を取りにいき、新聞をしっかり読むようになると、やがて顧客の立場からの視点が生まれた。顧客目線で物事を見られるようになると、お客様から「こういう相談があるんだけど…」など、積極的な引き合いが生まれるようになった。  「自分の奥行きが広がったことで、経営層の顧客へ変化として映っていたらうれしい」とはにかむ。


瞑想をしてみて拡大した意識のレベル

 瞑想すると劇的に世界が変わった、と実感することはほとんどない。しかし日々の瞑想により心にゆとりができる。できたゆとりによって今まで気にも留めなかった日常の変化や些細な感情の変化を感じ取るようになる。

 そうすると、 ちょっと冒険してみよう、普段と違う道を歩いてみよう、といった変容の末に意識レベルが重なってくると、そこで出逢う人たちがいる。さらにそこで出逢う人たちというのは、これまで自分が意図して会おうとしてこなかった人たちであり、話してみると面白かったり、伴って新しいアイデアが沸いてきたりするのだそうだ。そういう経験から、「瞑想をすると世界が変わるのではない。なぜならそこに因果関係はないから。でも、世界を変えるきっかけに瞑想がある、とは言えるのだろう」。つまり、瞑想を皮切りとして思考が多様に移り、結果的に世界が変わっていることを実感できたのだという。

 「瞑想してる私、を俯瞰して眺めてみるようになると、今まで素通りしてきた情報なんかに反応するようになる。情報を得て行動が変わる。するとまたやる。するとまた行動が変わる。そうして行動が積み重なっていけば必然的に人生は変わるのだろうと思う」。


反応がなくても構わない。声を上げ続けることの意義

 また、もうひとつの変化として「意識して行動を起こす」というものがある。「組織のなかで発信することが圧倒的に増えたと思う。大きな組織で働く“個”としての変化と言えるかもしれない」。大企業ではときに、一人の声は小さい。せっかく声をあげてもリアクションがないことの方が多い。けれど重要なのは自分が主体になること。 「発信するに至る自分の考えというのは、ある情報に対して自分なりの解釈を含め、自分なりの言葉で発信をするということ。これをやり続けていると、いずれ誰かに確実に響くのだと知った」。とはいえ社内の交流だけで得られる刺激は限界がある。今は積極的に社外でもコミュニティに参加するようにしている。


 「働く」ということについて、相澤さんのビジョンはきわめてシンプルだ。「目指している世界観を実現するひとつの手段が “働く” ことであるなら、そうすればいいだけのこと。早期引退して海外で悠々自適というのもいいと思うし、仕事を通して自己実現をして笑っていたい」というのが目下目指す姿だ。週末を楽しみにひたすら平日をやり過ごすのではなく、楽しむことも今やればいいというスタンス。そのときそのとき大事だと思うことに手を伸ばし、その積み重ねが最終的に思い描くビジョンを実現させるのだろうと信じている。

 なぜなら、「素敵だなと思う人たちは、みんなそうして生きているから」。人を感動させる働き方というものがある、と強くまっすぐな目で語った。


とても戦略をもって「今」を生きている印象の相澤さんですが、内面に吹く風はとても自由であたたかいのだろうと想像できます。人との出会いをすべて糧とし、目標に向かって日々自分を修練している…、そんなパッションを強く感じることができました。

(1)「課題解決ができる人間になりたい。20代のうちに独立すると決めた」相澤 大さん


フリーランス人材を企業に紹介する仕事に従事しながら、自身もいつかフリーランスを志すようになった。企業の課題解決に直結するスキルの獲得を目指して。全2回

PROFILE
1995年生まれ、25歳。大手総合人材サービス企業に新卒で入社し、フリーランス人材と企業をマッチングする部署でコンサルタントとして従事する。現在までに12社の企業と契約、月30~40社へアタックし需要を堀リ起こす。20代のうちに独立する目標を掲げ、仕事と勉強に明け暮れる毎日を過ごしている。

「働き方改革」、「コロナ禍」。社会が大きく変化するタイミングに入社

 「自分の場合は、大手企業といっても人材事業の会社なので少し事情が違うと思う」と言うのは、今回登場する25歳の相澤 大さんだ。3年間という社会人生活から、次なる目標を見据えた毎日を意欲的に生きる。彼の仕事内容は、大手人材サービス企業で特にフリーランス人材を企業へ紹介する業務だ。個々の事情に応じた柔軟で多様な働き方を自分で選択できるように、と政府主導で始まった「働き方改革」によって、ここ数年でフリーランス市場にも追い風が吹き、民間の調査では市場規模20兆円を突破したとも言われる注目の領域だ。

 「ご紹介するフリーランスの方々は、自分よりも実績もスキルもあって刺激を与えてくれる存在」と、その語り口から“フリーランス”へどこか羨望のようなものを感じた。

 「企業から自分の仕事の結果に対してお礼を言われても、実際のところそれは、ご紹介したフリーランスの方の功績なのであって、自分の貢献ではないと感じてしまう」。ここが相澤さんのユニークなところで、本来であれば企業が望む人材を適切にマッチングすることこそが仕事なのだから、喜ばれたなら素直に受け取るところだろう。けれど彼は、真に貢献したのは能力を提供した人材だ、と考える人間なのだ。これでは、人材事業社にいてもつらくなってしまわないだろうか。

 そういう理由からではもちろんないのだが、「いずれそう遠くない時期にフリーランスとして独立するつもり」。それを聞いて合点がゆく。そう、彼は今自分がある種の知的財産として扱っているフリーランス人材という領域に、自らも飛び込む覚悟を決めて日々余念のない準備にいそしんでいるのだ。

 勤務する会社は残業がないので、自分のための時間が十分にとれる。特に在宅勤務が推奨されるようになってからは、営業につきものだった移動時間もなくなり、商談もオンラインに切り替えられるようになったことで、一層時間のマネジメントが生活全般へ志向されていった。目下のところ、仕事以外の時間はもっぱら勉強に充てているそうだ。


強烈なインパクトをもたらしたあの日の偶然が、変化につながった

 「金融や統計、データ解析を独学で勉強している。これらを選んだのは、知識をつけたいという学習意欲もあるが、今後のキャリア転換のためにやっている」と言い切る。フリーランスの人たちと接しているなかで「何かしらのスキルがないとだめだな」と漠とした思いを抱えるようになった。企業の課題解決をするのはフリーランス、「たとえばこの状況を自分が解決できるには?」と考えると、おのずと自分もそうしたスキルを身に着ける必要性を持つようになった。それにしても、ここまで会社勤めをしながら「個人」として求められる人材であるか?と意識が及ぶようになったのには、彼もまた必然的な出逢いが影響している。そう、『WaLaの哲学』だ。


 「今の勤め先が主催したフリーランスのためのイベントがあり、そのテーマが“組織で働く個”だった。そのときに『WaLaの哲学』についてアカデミアの主催者の方が講演しておられ、その内容に感銘を受けた」。そのとき聴いた話が胸に深く余韻を残し、本能的に「これだ」と強く感じたという。「主宰者の方の圧倒的な知識量、それらすべて裏付けに基づいていて。かつ、丁寧で繊細な言葉の選び方など、すべてが “こりゃすごい!” と思った」。 仕事柄、日々たくさんの大手企業や先端企業の役員の方々に会う機会が多いが、なかなかこうした直観に訴える出逢いはなかったという。すぐに行動に移し、2期の講義に参加したが、正直「難しそう」と思うものの、受講することに意味があると信じ、ひたすらに食らいつく3ヶ月を過ごした。 講座を終えて、どんな変化の日々を過ごしているのだろうか。

(第2回につづく)



楽に“大企業人生”をまっとうすることもできる立場なのに、自分の心に素直に世界を開いていく倉本さんの、今夢中になっている新規事業とは。そしてその本当の目標について語る。最終回

(1)「企業が生み出すものは“新しい何か”というだけでなく、“役に立つ何か”であるべきだ」倉本 昌幸さん

(2)「海外勤務で直面した人を動かす難しさ。体験と自己内省が精神を磨く」。倉本 昌幸さん

PROFILE
倉本 昌幸さん(37歳)東京大学大学院修士課程を卒業後、味の素株式会社入社。8年ほどR&Dに従事し、社内公募により1年間一橋大学に通いMBAを取得。その後、大企業同士でのコラボレーションを行うオープンイノベーションに3年ほど参画し、2020年7月からアミノインデックス事業部に所属。また、コーポレート戦略部で自らの新規事業開発も並行して推進している。 


自分の時間の使い方に、優先順位をつけることで変化が起き始める

 社内を見渡したとき、倉本 昌幸さんのような考え方をする人は少ないのだという。「社風というより、大企業って大体みんなそうなんじゃないかな」。9時から5時、コアタイムを苦行のように耐え、その時間を楽しめるようにプロジェクトをつくっていくという発想がそもそも存在しない。倉本さんは “大企業人材” としては自分の時間の使い方がだいぶ自由になったと感じているのも、そういう背景にありそうだ。テレワークが標準スタイルとなった現在では、「16時~18時はもうバーン!と不就業です、と宣言するスケジュールを組んで、まだ小さい子どもたちと公園へ遊びに行く。自分の時間の使い方も、家族と過ごす時間の優先順位も変化していっている」。

 とはいえ「子育てには実はもうちょっと関わっていきたくて」。自身が子どもの頃、父親はあまり子育てに関与しなかった割には結果だけは求めてきたと振り返る。だからこそ、自分は子どもをどうするか?ではなく、プロセスにどんどん絡んでいきたいという欲求が大きい。けれど、「今は在宅時間が増えたので、上の子のときよりも下の子が懐いてくれるのがうれしい」と、顔をほころばせた。


 「今、生活全体の満足度はかなり高いと思う」と言いつつも、どこかぴりっとした緊張感を漂わせるのには理由がある。現在自身が進める新規事業が採択の段階にあるからだ。エントリー段階で150組ほどだったものが、取材時では5組に絞られていた。次の関門を間近に控え、「新しいビジネスで世界を変えていきたい」と語る静かな口調のなかに、倉本さんの思いがビシバシと感じられた。ただビジネスをするのではない。目標は、自分の世界にこの事業をとおして人を巻き込んでいくこと。一体どんな事業なのだろうか。


ファットクリエイターから、スリムクリエイターに変えたい

 出汁をカプセルタイプのコーヒーのような手法で手軽に飲める事業だ。出汁を毎回きちんと引くのは手間がかかるが、既存のコーヒー抽出マシンのようなものに出汁カプセルをセットするだけで数秒で味わえることを構想している。「出汁はおいしいだけでなく、リラックス効果や満足感も高い。これによって間食などが減っていくと、健康増進に貢献できるんじゃないか」。そもそも日本人は欧米人に比べてやせ型であることの背景のひとつには、こういう出汁由来の和食の文化が影響すると考える。「世界にそれを広めていくと、ヘルシーになってさらにはダウンサイジングできて、すると健康体なので医療費も食費も削減できるのではないか」とビジョンは広がる。「出汁」と聞くと、「ほんだし」を持つ味の素ならではの発想なのか?と言えば、自身は食品事業に携わったことがないとはいえ、旨味や出汁の価値への傾倒は影響を受けているはず。人口が100憶人を超えて近く必ず食糧難になる。食べすぎの人を減らすにはどうしたらよいか?との問いに答えるかたちでこのビジネスを着想した。

 「ファットクリエイターから、スリムクリエイターに変えたい」。実は取材の数日後、最終選考からは漏れてしまったとの知らせが届いた。けれど倉本さんならば、さらに進化させたビジネスモデルをお目にかけてくれるはずだ。


小さくまとまるな!外の世界に自己を開いていく

 最後に、倉本さんと同じように大企業で働く人たちがぶつかる、「これまで未来永劫存在すると信じられていた大企業人生って、本当にこのまま用意されているの?」という問いについても意見を聞いてみた。たとえば35歳前後、ちょうど子育て世代であるが、このまま会社を信じて仕事に舵を切って出世レースにいそしむ?いやいや、家族との時間をしっかり過ごしながら大企業人生をまっとうできる道を模索する?

 「今後の世の中は、すごくダイナミックな変化が起きている。これまであった大企業人生って、そもそもサステナブルに成り立つものか?という疑念がわくはずだ」。ならば、どう生きるか。


 「自分が何をやりたいのか。これを知っていれば意思決定がとてもシンプルになる。その背中を子どもに見せていても、子どもも一緒に楽しめるはず。そのためにもやりたいことを見つけるというのは最初の一歩として極めて重要だ」と言うが、それは自分一人の頭のなかでいくら会議をしてもたどり着かないだろう、とも言う。「これまで会ったことのない人にどんどん会いにいってみる」ことにブレークスルーの秘訣がある。そうした状態を意識してつくることが有効だと考える理由は、他者と話していることで見えてくるものがあるし、客観的に語られる自己が、自分の知らない自分だったりすることは多いからだ。

 「大企業って人は多いけど意外に狭くて、自分の半径30人程度のつきあいで事業に関わっていたりすると、それだけで人生は終わってしまう」。そう語る彼が、会社に新しい風を吹き込んで「変化の中心」となっていく人であることは、もはや疑いようもない。


人生いつも場面に応じて「キャラ変」をして立ち位置を築いてきたことに自負があるそうです。コンプレックスは対峙して解決するもの、と考えいつも状況を楽しむことができる力を身に着けた倉本さんのしなやかでタフな存在感は、たくさんの人にまぶしく映るのではないでしょうか。



(1)「企業が生み出すものは“新しい何か”というだけでなく、“役に立つ何か”であるべきだ」倉本 昌幸さん

(2)「海外勤務で直面した人を動かす難しさ。体験と自己内省が精神を磨く」。倉本 昌幸さん




追い立てられるようにさまざまなチャレンジに手を伸ばしつつ、突然やってきたのは想像を超えた混沌の事態だった。自分ひとりで解決できない問題に直面した倉本さんの、転換期となった体験とは。

第1回はこちら

問題を解決できない自分に異国の地で絶望

 研究開発の現場に8年ほど携わってきたが、後半5年間は三重県の四日市市へ、さらにそのうち半年間はインドネシアで工場の立ち上げを経験した。当初はそれを「不本意な異動」と感じた。本人としては新しいことをやってみたいとか、事業に携わりたいとか思っていたわけだが、「工場で一度、ものをつくるところを見なさい」と言われてのことだった。しかしこの経験がのちに、新たな視点の獲得へとつながる。

 異文化の外国で工場を立ち上げる担当として任務に当たった際に、「本気でやばいな」と思う瞬間に遭遇した。倉本さんの仕事は、工場を立ち上げて新しい製品をつくれるように、現場の作業員を指導するものだった。しかし、なんらかのトラブルが起き、製品が規格アウトする、条件から出てしまうという事態が続いた。何がいけないのか、思いつくことは片っ端から試し、試しては失敗する、という繰り返しのなかで「これは乗り切れない」と、悲観する状況に陥る。なんせ、自分は現地にわざわざ日本人として出向いて、解決できる人間だという立ち位置で来ているのに何も解決できないのだ。

 事態は動かず、やがて工場の生産をストップしようという決定が下ると、せっかく来ている作業員たちも「出社しても意味ないじゃん」と、工場の床で寝てしまうカオスな状況に。

  「やばい…。これ、おれがなんとかしないとこの状況がずっと続くんだ…」と思うものの、どんなに手を尽くしても解決を見ず、だんだん工場に行くことがいやになってくる。最終的に帰国してから、日本側の担当者が原因を見つけてくれたわけだが、自分一人の力でどうにもできないことがある、という経験が彼に教えたものは大きい。


社外のエネルギーに触れ、自分の現在地に浮かぶ疑念

 基礎の研究をやっているときより、工場では事業採算をダイレクトで目撃できた。また、人を感情面でどう動かしたらいいのか?というイシューを持つきっかけにもなっている。「何かいやなことがあっても、これってあのときほどじゃないな、と思えるようになった」。この経験を通して、自分が解決できる問題と、みんなで議論して解決に導く問題とがあることを知った。自分の精神が一定を超えないところでコントロールできるスキルを身に着けると、キャリアチェンジへの欲求が募っていく。


 折よく社内公募制で一橋大学のMBAを取得する機会を得る。会社のなかでは先進的なアクションであっても、社外に出ればMBAを取ればなんでもOKという時代は既に過去のもの。外の世界に出れば出るほど、漠とした焦燥を覚えた。そんなとき、社外の人たちと進める「オープンイノベーション」にアサインされる。オープンイノベーションとは、研究所のなかの組織で、最終的に一緒に共同研究をする ことを目標としており、各社が保有するアセットを持ち寄り議論を進め、新たな事業アイデアを創出するためのアクションだ。「この活動で、圧倒的に社外のエネルギーに触れるようになり、これまでと異なる文脈や関係性で話ができるし、個と個で仲良くなれる関係をつくれたのはとても新鮮だった」と語る。 一方で、見識が拡がり視界が外へと開いていくほどに、「あれ?なんか上へのパスが見えちゃったけど、このパスってそのまま行ったとして、そんなに楽しいものなんだっけ?」と未来への戸惑いを覚えるようになった。

「自分のために時間を使う」ということの、意味と価値

 「自分のやっている仕事は、意味があるのだろうか」という問いが再び彼に追いついてしまったとき、すでに彼は以前の自分ではなくなっていた。ちょうどそのタイミングで「WaLaの哲学」に出逢う。 社内の知人から「面白い人がいるから話を聞きにいこう」と誘われたのがきっかけだったが、「哲学と聞いてもちろん少しのひっかかりはあった」と言うが、オリエンを聴くとすぐに腑に落ちるものがあった。 「ああ、これMBA取った人にぴったりなんだ」。要するに「MBAで学べないことだから。MBAで感じた限界を埋める要素になるんじゃないかって予感がした」。そしてそれは、的中することになる。

 講座を通して自己内省をさまざまなフレームで行うが、他のリーダーシップ研修などでもしきりと、「自分の答えを見つけよ」とか、「内省が大事」と耳にするものだ。倉本さんはそうしたことを表面的に言われている気がして、今ひとつ自分を深ぼりできた感覚を持てないでいたが、「WaLaの哲学」ではまさにこの点で次元が違った。「ああ、自分に、自分のことに時間を使うとは、こういうことなのか」という感覚がどんどん増していき、その体感は現在においても進行中だ。

 

「今自分がやっていることが会社にとってだけでなく、社会にとっていいことなのか?と思ったときに、ちゃんと上の人に議論をするようになったり、そういう変化が確実に出現するようになった」。自分がやっていることに対しての意味づけに、しっかり時間を使うようになっていた。

PROFILE
倉本 昌幸さん(37歳)東京大学大学院修士課程を卒業後、味の素株式会社入社。8年ほどR&Dに従事し、社内公募により1年間一橋大学に通いMBAを取得。その後、大企業同士でのコラボレーションを行うオープンイノベーションに3年ほど参画し、2020年7月からアミノインデックス事業部に所属。また、コーポレート戦略部で自らの新規事業開発も並行して推進している。

第3回につづく

(1)「企業が生み出すものは“新しい何か”というだけでなく、“役に立つ何か”であるべきだ」倉本 昌幸さん


「どんな状況でも楽しめる人間」と優しく微笑む瞳の向こうにのぞむ、傷みを知る人間ならではのナイーブさが光る。課題を自ら立ち上げ、クリアしていくことで乗り越えられるレベルを上げていく。挑戦前夜、全3回。


PROFILE
倉本 昌幸さん(37歳)東京大学大学院修士課程を卒業後、味の素株式会社入社。8年ほどR&Dに従事し、社内公募により1年間一橋大学に通いMBAを取得。その後、大企業同士でのコラボレーションを行うオープンイノベーションに3年ほど参画し、2020年7月からアミノインデックス事業部に所属。また、コーポレート戦略部で自らの新規事業開発も並行して推進している。


社内起業家への挑戦、高い熱量の理由  

 時期も時期、インタビューの際にはマスクをかけつつ穏やかに話す倉本 昌幸さんであったが、今手掛けている自身考案の新規事業への情熱が、身体じゅうから静かに炎を立ち上らせているような熱量が伝わってくる。連結で総従業員数35,000人を超す押しも押されもせぬ日本有数の食品メーカーである味の素株式会社で研究開発の現場に立つ彼は今、嬉々として二つの事業部「アミノインデックス事業部」と「コーポレート戦略部」とを兼務している。前者はまだできて10年ほどのビジネスで、健康診断の際にオプションで受ける血液検査を開発しているという。「三大疾病」と「認知機能低下」のリスクチェックができる血液検査であり、そこで根幹に当たるサービスのアップデートやビジネスモデルの変革などを遂行しつつ、もうひとつの所属先であるコーポレート戦略部では、新規事業の立ち上げに挑戦している。


 「今年から社内起業家の公募がスタートした。そこに手を挙げて現在選考に残っている状態だ」。 倉本さん自身が第一期生でありながら、戦略を立て“中の人”として実行していく部署である。もともとコーポレート戦略部はM&Aを実行する部隊であり、M&Aを担当するチームの他に、倉本さんのように自主的に新規事業に手を挙げてブラッシュアップしている段階の人が5名ほどおり、一週間の仕事量のバランスは基本的には自分の裁量で進めることができる。


「与えられた仕事」と「やりたい仕事」をバランスさせ没入する毎日

 「兼務は大変ですが楽しい」とほほ笑む目に往来の人懐っこさを見せつつ、その実態はハードだ。 しかしながら、既存事業は半ば組織から与えられた仕事である一方、新規事業はゼロから自分の発想で組み上げていくものだ。「与えられた仕事であっても面白ければ150の力が出せるが、やりたい仕事であればさらに250の力が出せる」と熱っぽく語る。

 いかにも充実ぶりを感じる今の倉本さんであるが、こうしてやりたいことに挑むことのできる立ち位置に至るまでに、ふと置かれている現状に迷いを感じ、その答えをつかむために自ら行動を重ねることで、機会の拡大を図ってきている。「与えられたもの、ポジション、報酬、役割を満たして、それを上回る成果を上げて評価される、というレールに乗ってなんの問題意識も持っていない時代もあった。外の世界を見ない限りは、それで結構幸せに生きられてしまうものだ」という倉本さんは、同期のうちでも早期に出世を果たし、そこそこ満たされるものがあったという。あるとき、大企業同士でコラボレーションをするオープンイノベーションの一員として参画した際に、この状況に疑問を持つことになる。

順風満帆な日々の終わり、求め始めた「変化」への希求

 もともと倉本さんの出自は、研究開発である。東京大学大学院で研究開発に従事し、自分の発想で何か新しいものを生み出したいとの思いから同社で研究職に就いた。念願かなって社会人としての生活にも慣れていった2年目、ふとある疑問が頭から離れなくなる。「自分のやっていることって、“新しい何か”はつくっているんだけど“役に立つ何か”になかなかつながっていかない」という考えに、日々の仕事は答えをくれることはなかった。

 そもそも彼の勤務するのは大手の食品メーカーだ。周りを見渡してみても、自分と同じような息苦しさに葛藤する人はほとんど見当たらなかった。そんな迷いのさなかにも、ピンときたものにはどんどんアクションをしてみようと焦燥と共に行動に出ることにした。社の配置転換の公募があり手を挙げると、新たな知識やスキルの必要も感じてビジネススクールの単科受講を開始するなど、ひとつの行動が契機となって次の行動へと道を築き始めた。


「自分のキャリアを大きく変えてみたい」。 完全に守られた大きな組織のなかで、自他ともに認める順風満帆な道の上に物足りなさを覚え、まだ見ぬ自分ですら正体のわからぬ“何か”を追い求める日々がついに始まったのだ。

(第2回につづく)

ブラック企業、優良企業、監査法人、政府行政機関の環境で直面した「組織と個人」の在り方への問い。常に模索をあきらめなかったからこそ開かれた機会を活かし、今は何を思いどう生きるのか?
全3回、最終回。

「キャリア形成に葛藤。未来の見えない環境を変えたかった」水地 一彰さんの場合 (1)

「組織の論理に直面したとき、個人としてどう働くのか?」 水地 一彰さんの場合(2)

PROFILE
水地 一彰さん(40歳)大手監査法人勤務、シニアマネージャー。公認会計士、米国公認会計士。1980年生まれ。新卒で大手不動産会社に就職し、仕事上で接する税理士の姿に触発され2年に渡る勉強の末、晴れて公認会計士となり現在の職場へ就職。出向プログラムにより大手化学メーカーの経理部で3年2ヶ月勤務をし、働く人や組織についての貴重な気づきを得る。一度自社に戻った後、経産省の産業創造課へ出向したことでエネルギッシュな人々との関わりに刺激を受け、自身と組織との新たな関わり方を見出す。2020年現在、自社にてこれまでの経験を活かした広義でのベンチャー支援に勤しんでいる。


―― ここまで水地さんの現在に至る軌跡をうかがってきました。今日もとてもラフな装いで、私のなかの会計士さんのイメージとまったく違うのですが(笑)。

 そうですか(笑)?基本的には早朝に英会話をしたあと、ヨガと瞑想をして子どもを送り出してから妻と掃除して散歩して、といった毎日で、服装も含めてとてもリラックスした生活をできています。自分と家族のために最大限時間を使うと決めて実践しており、仕事も基本、「サラリーマンとしてのやらされ仕事」はミニマイズするよう努めているんです。

 仕事を含む生活全体をある程度はコントロールできているので、充実しているとは思いますね。もっと言うと、少なからず自分の意識のなかでは「自分をハックされない組織との関係性の構築」を心がけています。こういう生き方に至るうえではもちろん、これまでのキャリアとそのなかで経験からくる知恵がありますが、もうひとつ『WaLaの哲学』という私塾に通ったことでも影響を受けたと思います。

 経産省でさまざまな立場の人と出会いましたが、そのなかにこの私塾を主宰されている方と出会いまして、一期生として通ったんですが初回の講義で結構ビビっときました。


―― ビジネススクールと違ってスキルアップやテクニックを学ぶわけではないですよね。  

 そう。主宰者の方が全体を構造的にとらえた知識を体系化して共有してくれていると理解していますが、自分のこれまでの人生が素地となり、「視野の広さ」に強く共感を覚えました。たとえば、視座を究極的に上げると社会を変えよう、となる。こういうことは経産省での仕事で知ったエキサイティングな価値観の人たちと相通ずるものがあった。

 今、僕は自社に戻って広くはベンチャー支援をしているのですが、上司とも組織とも適切に向き合えるようになりました。要するに、組織に対する前提がこれまでの経験から外的にも内的にも崩れたことで結果として僕の意識のなかでは組織とも上司ともとの付き合い方も変わった。もっと言うと、上司とは(自分よりも社歴やキャリアの長い人ではなく)社会をより良い場所にするための同志であり先輩であって、組織とは(自分の時間を捧げた対価としてお給料を振り込んでくれるものではなく)社会をより良い場所にするために活用するべき手段であると思うようになりました。


 すると、当然上司との関係にも変化が生まれて。会社というリソースを活用しながら、社会との関わりを一個人として模索できるようになったのも、『WaLaの哲学』が良い影響を与えてくれたと思っています。  “一人で立つのが自立ではない。もたれかかる仲間が多いのが自立”と聞いたことがあるのですが、それをこの頃実感しています。やっぱり生涯を通じて学びたいという思いを強くしていて、仕事をしながら学びの時間を確保することは非常に重視しているんです。まあだからこそ、組織とは適切な距離感を取る必要がありますが(笑)。


―― もはや進化系サラリーマン(笑)。水地さんは実績によって発言権を得て、交渉によって自分の働きたい理想の環境をつくってこられた。さて、今後の展望などはどんなものでしょう。

 ひと言で言うと「自分の中に軸を立てたい」。これはずっと思い続けていることで、たとえばどんな環境の変化にあっても、自分の中の軸で生きていきたいと考えています。今はおかげさまで、ヘルシーでいられる仕事量と仕事内容、それによってヘルシーな精神を保つことができていますが、これを継続していくことは目標でもあります。生きて仕事をしていれば、社会とのさまざまなインタラクションがあるわけですが、そのうえでヘルシーさを維持していくこと。  

 けれど一方で、「自分がヘルシーならいいの?人生それで満足なの?」と聞かれたら「イエス」と答えられない自分もいる。問いを進めて、「なんのために生きているの?」に対する答えはまだ見つかっていないんですよ。この「なんのため」をクリアにしたい、向き合っていきたい、と思っています。                                


今だけを見たら理想的な働き方を体得して羨ましい!と感じがちですが、ここに至るには水地さんが環境変化のなかで自己と組織の在り方を問い続けてきたからこそ。キャリア形成の大きな参考となりました。