(1)「若い力が結集して社会の風向きを変えた」。政治活動家 阿部 司さん

現在、衆議院解散後の選挙に備え「立候補予定者」として政治活動に励む阿部 司さん。堂々と聴衆に語り掛ける姿からは想像のできない、ナイーブな素顔とのギャップの裏には、真摯に自分を見つめ続けてきた日々があった。全2回

PROFILE
阿部 司さん 1982年生まれ。早稲田大学ではメディアサークル幹事長や早稲田祭運営、ベンチャー企業立ち上げなどの経験を持つ。新卒で日本ヒューレット・パッカードへ入社し、大企業のIT変革などを営業として支援する。在籍中に、友人の選挙戦を中枢で関わり当選を勝ち取る経験を契機に政治への高い関心が芽生える。その後、政策シンクタンクに転身し、実務を積み重ねたのち、2020年より日本維新の会衆議院東京都第12選挙区支部長として政治活動に勤しむ。


必死に生きてきた日々が、目前に「機会」となって現れた

 「自分が絶対に議員になると思ったわけではなく、そのときどきに踏み出してきた結果として今ここにいる」と語るのは、現在東京12区で政治活動に勤しむ阿部 司さんだ。阿部さんには、政治に身を投じようとする人たちに特有のある種の押し出しの強さというものが感じられない。このいい意味でのギャップを理解するために、現在の阿部さんの毎日について聞いてみた。

 2020年を半分折り返した頃、声がかかって政治の道へ踏み出し、会社員生活に終わりを告げた。衆議院が解散し、選挙が始まると正式に「立候補者」となるが、現在は「立候補予定者」という身の上だ。ということは、いつ選挙が始まるとも決まっていない不確かな日々を、安定した会社員生活と引き換えにしたということになる。「しかも先月、子どもが生まれたばかりで育児は大変」と言う。必ずや実現したいビジョンがあって政界に身を投じたというのではない人が、終わりの見えない道を選んだ理由とはいったいどんなものなのだろう。


自分たちの力で、社会を変える手ごたえを感じた経験

 立候補予定者、政党の選挙区支部長という立場となり、朝は午前7時から2時間ほど、夕方は18時、19時頃からと、その日の様子を見て調整しつつも日に二度、駅前に立つ。その他に選挙区各地でのポスティングや挨拶まわり、ミニ集会を各地で開催しては支援者を募る。これらの活動はチームで行うものだが、阿部さんにはこの点において経験があるのだ。「もともとこの道に至る転機となったのが、かつて都議会選に出馬した友人を全力で支えて当選したこと」。資金力も地盤もないなか、29歳の若手が始めた無謀とも呼べる挑戦を、阿部さんはいろいろな仲間を巻き込んで全面的に支援し、結果として友人は見事当選を果たした。「一矢報いたと思った」。



 無理だ無謀だと言われるなかで、若者が力を集結して大きく風向きを変えた。「社会を変える可能性を持った人間を議会へ送り出す。これは目指し甲斐のある目標だった」と語り、当時外資系IT企業で会社員生活を送っていた阿部さんに忘れられない経験となったのだ。定石の戦い方など知らず、かえって知らなかったことが奏功したのか、なんでも思うとおりにやれた。言われたことをやる会社員生活と対局にあるような、自分たちですべて考えて実行したことで成し遂げた成果に、阿部さんは胸が躍動するのをおさえられなかった。そこですぐに「自分も政治家へ」とはならず、今の職場を勢いで退職することもせず、2年ほどはその情熱を飼いならしながら、「自分としてどうするべきか?」との問いに対峙し続けたのだった。


絶えず「挑戦」を選択することで命を磨く

 大学生時代の阿部さんにもその片鱗はあった。「授業そっちのけでメディアサークルの代表として芸能人を呼んでパーティーを開いたり、先輩の起業を手伝ったりしていたらあっという間に2年留年していた」と笑いながら話すが、「本当はモラトリアムを延長していたと思う」と言う。「自分が何をしたいのか」、このときも多忙さに気を紛らわせながらも、どうしても消えない渇きにいら立つ青春時代を過ごしている。制限時間ギリギリで外資系IT企業へ就職を決めたのも、変化の激しい世界に身を置くことで挑戦し甲斐を感じようとしたのだ。

 人の来歴とは如実にその人の生き方を語る。「縁あって今、ここにいる」と言う阿部さんであるが、いつもそのときどき、真剣に自分自身を見つめてきたひたむきな背中があったのだ。

第2回へつづく

River

ビジネスパーソンの “はたらく+暮らす” 応援マガジン。 組織と個人の関係は、もっと健康的になっていい。 1人ひとりの生き方や仕事観が、多様に開花する時代に 誰かの軌跡が他の誰かへのエールとなる。

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