(2)「海外勤務で直面した人を動かす難しさ。体験と自己内省が精神を磨く」。倉本 昌幸さん

追い立てられるようにさまざまなチャレンジに手を伸ばしつつ、突然やってきたのは想像を超えた混沌の事態だった。自分ひとりで解決できない問題に直面した倉本さんの、転換期となった体験とは。

第1回はこちら

問題を解決できない自分に異国の地で絶望

 研究開発の現場に8年ほど携わってきたが、後半5年間は三重県の四日市市へ、さらにそのうち半年間はインドネシアで工場の立ち上げを経験した。当初はそれを「不本意な異動」と感じた。本人としては新しいことをやってみたいとか、事業に携わりたいとか思っていたわけだが、「工場で一度、ものをつくるところを見なさい」と言われてのことだった。しかしこの経験がのちに、新たな視点の獲得へとつながる。

 異文化の外国で工場を立ち上げる担当として任務に当たった際に、「本気でやばいな」と思う瞬間に遭遇した。倉本さんの仕事は、工場を立ち上げて新しい製品をつくれるように、現場の作業員を指導するものだった。しかし、なんらかのトラブルが起き、製品が規格アウトする、条件から出てしまうという事態が続いた。何がいけないのか、思いつくことは片っ端から試し、試しては失敗する、という繰り返しのなかで「これは乗り切れない」と、悲観する状況に陥る。なんせ、自分は現地にわざわざ日本人として出向いて、解決できる人間だという立ち位置で来ているのに何も解決できないのだ。

 事態は動かず、やがて工場の生産をストップしようという決定が下ると、せっかく来ている作業員たちも「出社しても意味ないじゃん」と、工場の床で寝てしまうカオスな状況に。

  「やばい…。これ、おれがなんとかしないとこの状況がずっと続くんだ…」と思うものの、どんなに手を尽くしても解決を見ず、だんだん工場に行くことがいやになってくる。最終的に帰国してから、日本側の担当者が原因を見つけてくれたわけだが、自分一人の力でどうにもできないことがある、という経験が彼に教えたものは大きい。


社外のエネルギーに触れ、自分の現在地に浮かぶ疑念

 基礎の研究をやっているときより、工場では事業採算をダイレクトで目撃できた。また、人を感情面でどう動かしたらいいのか?というイシューを持つきっかけにもなっている。「何かいやなことがあっても、これってあのときほどじゃないな、と思えるようになった」。この経験を通して、自分が解決できる問題と、みんなで議論して解決に導く問題とがあることを知った。自分の精神が一定を超えないところでコントロールできるスキルを身に着けると、キャリアチェンジへの欲求が募っていく。


 折よく社内公募制で一橋大学のMBAを取得する機会を得る。会社のなかでは先進的なアクションであっても、社外に出ればMBAを取ればなんでもOKという時代は既に過去のもの。外の世界に出れば出るほど、漠とした焦燥を覚えた。そんなとき、社外の人たちと進める「オープンイノベーション」にアサインされる。オープンイノベーションとは、研究所のなかの組織で、最終的に一緒に共同研究をする ことを目標としており、各社が保有するアセットを持ち寄り議論を進め、新たな事業アイデアを創出するためのアクションだ。「この活動で、圧倒的に社外のエネルギーに触れるようになり、これまでと異なる文脈や関係性で話ができるし、個と個で仲良くなれる関係をつくれたのはとても新鮮だった」と語る。 一方で、見識が拡がり視界が外へと開いていくほどに、「あれ?なんか上へのパスが見えちゃったけど、このパスってそのまま行ったとして、そんなに楽しいものなんだっけ?」と未来への戸惑いを覚えるようになった。

「自分のために時間を使う」ということの、意味と価値

 「自分のやっている仕事は、意味があるのだろうか」という問いが再び彼に追いついてしまったとき、すでに彼は以前の自分ではなくなっていた。ちょうどそのタイミングで「WaLaの哲学」に出逢う。 社内の知人から「面白い人がいるから話を聞きにいこう」と誘われたのがきっかけだったが、「哲学と聞いてもちろん少しのひっかかりはあった」と言うが、オリエンを聴くとすぐに腑に落ちるものがあった。 「ああ、これMBA取った人にぴったりなんだ」。要するに「MBAで学べないことだから。MBAで感じた限界を埋める要素になるんじゃないかって予感がした」。そしてそれは、的中することになる。

 講座を通して自己内省をさまざまなフレームで行うが、他のリーダーシップ研修などでもしきりと、「自分の答えを見つけよ」とか、「内省が大事」と耳にするものだ。倉本さんはそうしたことを表面的に言われている気がして、今ひとつ自分を深ぼりできた感覚を持てないでいたが、「WaLaの哲学」ではまさにこの点で次元が違った。「ああ、自分に、自分のことに時間を使うとは、こういうことなのか」という感覚がどんどん増していき、その体感は現在においても進行中だ。

 

「今自分がやっていることが会社にとってだけでなく、社会にとっていいことなのか?と思ったときに、ちゃんと上の人に議論をするようになったり、そういう変化が確実に出現するようになった」。自分がやっていることに対しての意味づけに、しっかり時間を使うようになっていた。

PROFILE
倉本 昌幸さん(37歳)東京大学大学院修士課程を卒業後、味の素株式会社入社。8年ほどR&Dに従事し、社内公募により1年間一橋大学に通いMBAを取得。その後、大企業同士でのコラボレーションを行うオープンイノベーションに3年ほど参画し、2020年7月からアミノインデックス事業部に所属。また、コーポレート戦略部で自らの新規事業開発も並行して推進している。

第3回につづく

(1)「企業が生み出すものは“新しい何か”というだけでなく、“役に立つ何か”であるべきだ」倉本 昌幸さん


River

ビジネスパーソンの “はたらく+暮らす” 応援マガジン。 組織と個人の関係は、もっと健康的になっていい。 1人ひとりの生き方や仕事観が、多様に開花する時代に 誰かの軌跡が他の誰かへのエールとなる。

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